「来週からこの案件、見てくれない?」。その一言で、すでに赤字が見えているWebシステム開発を引き継ぐことになった。要件は曖昧、進捗報告は楽観的、現場メンバーの顔色は暗い。引き継ぎ資料を開いた瞬間に、「これは、何から手を付ければいいんだ」と固まってしまう。炎上案件を引き継いだ中堅PMが、最初に味わう感覚です。
引き継ぎ初日に何から見るか。1週間で誰に何を伝えるか。そして、続けるのか撤退するのかを、どの根拠で経営に説明するのか。本記事では、架空のWebシステム受託案件「Pプロジェクト」を題材に、引き継ぎ初日から30日後の意思決定会議までの動きを、タイムラインで描きます。再見積の根拠の組み立て方、撤退提案を上げる勇気の出どころまで、現場で使える判断軸として整理していきます。
ケース概要:引き継いだ「Pプロジェクト」の状態
題材として使うのは、ある受託開発会社が請け負ったECサイトのリニューアル案件「Pプロジェクト」(架空)です。
- 契約形態:請負(一括)/契約金額 4,800万円
- 期間:当初6ヶ月、すでに3ヶ月経過
- 現状:進捗60%報告だが、コードベースは40%程度/顧客側の追加要望が継続発生
- 体制:前任PM退任、開発メンバー6名(うち2名がメンタル不調で稼働半減)
- 顕在化リスク:検収条件が曖昧、契約書に「前提条件」「除外範囲」の明記なし
引き継ぎ初日の段階で、原価ベースの試算では残り3ヶ月で約1,200万円の赤字見込み。ただし、その数字すら「本当にそれで止まるのか」が誰にも分からない、というのが多くの炎上案件の実態です。
初日にやること:止血のための「事実と解釈の切り分け」
炎上案件を引き継いで最初の48時間でやるべきことは、新しい施策を打つことではありません。「事実」と「前任者の解釈」を切り分けて、現状を正しく観測することです。
観測すべき4つの一次情報
引き継ぎ初日に、まず以下の一次情報だけを集めます。報告書ではなく、生のデータです。
- 契約書の原本:範囲・前提・除外条件・検収条件・変更管理条項
- コードリポジトリ:直近2週間のコミット量、テストカバレッジ、未マージブランチ
- チケット管理ツール:未着手・進行中・完了の実数(割合ではなく件数)
- 稼働実績:メンバーごとの月次稼働時間と原価
この段階で「進捗60%」のような前任者の解釈は、いったん脇に置きます。前任者が悪いのではなく、炎上の渦中では誰でも数字を「希望込み」で見てしまうからです。
初日の終わりに作る1枚
集めた一次情報を、A4一枚に整理します。フォーマットは難しく考えず、以下の4区分で十分です。
- 確定している事実(数字・契約条文)
- 推測でしかない情報(進捗率・残工数)
- すぐに止血が必要な出血点(無償対応中の追加要件、メンタル不調者の稼働、未合意の検収条件)
- 24時間以内に確認したい人と質問
この1枚は、後の経営報告でも使う基礎データになります。「自分は何を事実として把握していて、何をまだ確認できていないか」を分けて持っておくことが、判断のぶれを防ぐ第一歩です。
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1週間でやること:範囲・前提・検収の棚卸し
初日の止血で時間を稼いだら、次の1週間でやるのは契約上の範囲・前提・検収条件の棚卸しです。再見積も撤退判断も、この棚卸しが全ての判断の基礎になります。
棚卸しの3つの観点
棚卸しは、主に次の3つの観点から進めます。
- 範囲(スコープ):契約書に明記された機能と、実際に作っている機能の差分
- 前提:契約時に「こういう前提だから、この金額」と置いていた条件(顧客の決定スピード、既存システム連携の仕様、データ移行範囲など)
- 検収条件:何をもって「完了」とするか。テスト基準・受入基準・性能要件
Pプロジェクトの場合、契約書には機能一覧はあるものの「前提条件」「除外範囲」の記載がほぼなく、検収条件も「顧客が満足すること」に近い曖昧さでした。これは典型的な炎上パターンです。
棚卸し表の作り方
棚卸しは、Excelやスプレッドシートで「契約上の記載」「現在の実態」「差分」「赤字寄与額(推定)」の4列で作ります。重要なのは、差分のひとつひとつに金額をひもづけることです。
「曖昧だから揉めている」を、「ここの解釈ズレで300万円、ここで150万円」と数字に変換すると、顧客との交渉でも経営への報告でも、議論が一気に具体化します。
この棚卸し作業を、現場のPMはなかなか時間が取れずに後回しにしがちです。しかし、棚卸しなしの再見積は「希望的観測」にしかならず、結局もう一度赤字を踏みます。1週間という時間枠を切って、棚卸しに集中する時間を確保することが大事です。
範囲・前提・検収の再合意で被害を止める実務手順は、こちらの講座で体系化されています。 契約前提ズレ・赤字化の鎮火講座を見る
2週間目:再見積と「3つのシナリオ」を作る
棚卸しが終わったら、再見積を「3つのシナリオ」で組み立てます。1本の数字だけ持って経営に上げると、必ず「もっと安くならないのか」で議論が空転するからです。
シナリオA:現状継続(最悪値)
契約範囲を変えず、追加要件もこれまでのペースで受け続けた場合。Pプロジェクトでは追加2,000万円の赤字、納期は2ヶ月遅延の見込み。この数字は、止血しなければこうなる、という警鐘として機能します。
シナリオB:再合意して継続
範囲・前提・検収を顧客と再合意し、追加要件は変更管理プロセスで個別見積もりにする。段階リリースに切り替えて、第1リリースで一度検収を取る。Pプロジェクトでは追加500万円の赤字に圧縮、納期1ヶ月遅延。
シナリオC:撤退・再構成
第1リリース範囲のみで一度プロジェクトを区切り、残りは新規契約として組み直す。あるいは、契約解除に向けた交渉に入る。短期的な損失は出るが、損失の上限が見える。
経営に上げるときの順序
3シナリオを並べて、「Aは止血しない場合の自然な流れ」「Bが推奨」「Cは交渉が決裂した場合の代替」として構造化します。撤退提案を「いきなり撤退の話」として持ち込むのではなく、シナリオの一つとして並べることで、経営側も冷静に判断しやすくなります。
撤退提案を上げる勇気が出ないPMは多いですが、それは「撤退」だけを単独で説明しようとするからです。比較対象があれば、判断の議論として成立します。
3週間目:意思決定会議と顧客交渉
シナリオが固まったら、3週間目は意思決定会議の準備と顧客交渉に入ります。
経営向け資料の構成
経営に出す資料は、例えば次のような順で組み立てると伝わりやすいでしょう。
- 現状のサマリー(1ページ):契約・進捗・赤字見込み
- 棚卸し結果(1ページ):差分と金額
- 3シナリオ比較(1ページ):金額・納期・リスク
- 推奨シナリオと根拠(1ページ)
- 顧客交渉のシナリオ(1ページ):誰に・何を・いつ伝えるか
合計5ページ。経営陣は「で、どうする?」を15分で判断したいもの。各項目を1ページに収め、簡潔にまとめることが重要です。
顧客交渉での3つの原則
顧客と交渉する際は、次の3点を守りましょう。
- 「悪い知らせ」は早く、まとめて出す:小出しにすると信頼を失います
- 「困っている」ではなく「ご相談したい論点」として出す:感情論にしない
- 代替案を必ず添える:選択肢があると相手も動きやすい
会議で対立が起きたときに論点を整理して収束させる技術は、別記事で詳しく解説しています。あわせて 会議で対立を収束させるPMの論点整理術|決まらない議論を終わらせる5ステップ もご覧ください。
4週間目:撤退判断の基準と、その後の動き
意思決定会議の結果、シナリオBで再合意できれば再見積どおりに進めます。問題は、顧客が再合意に応じないケース、つまり撤退判断が必要になるときです。
撤退を選ぶ判断軸
私が現場で使ってきた撤退判断の軸は、次の3つです。
- 赤字額の上限が見えるか:見えないなら撤退側に倒す
- 再合意の見込みがあるか:3週目までの交渉で兆しが出ない場合は厳しい
- チームが持つか:メンタル不調者が増える前に止める
この3つのどれか1つが「No」になった時点で、撤退シナリオの本格検討に入ります。「もう少し頑張れば」は、炎上案件で最も危険な言葉です。
撤退時のクロージング
撤退と決まったら、契約解除の合意書、成果物の引き渡し範囲、瑕疵担保責任の整理、顧客への説明資料を、2週間でまとめます。クロージングが雑だと、次の訴訟リスクや評判リスクに直結します。
ステークホルダーとの交渉で板挟みになる構造的な疲弊については、 「もう疲れた…」PMの”板挟み地獄”から抜け出す、元事業責任者が教える5つの実践的処方箋 も参考になります。
迷ったらこの講座から始める
ここまで読んで「考え方は分かったが、自分のケースで判断できる気がしない」と感じた方も多いと思います。判断は知識ではなく、ケースで繰り返し練習することでしか鍛えられません。テックエイドでは、炎上案件の判断力に直結する2講座を用意しています。
ケース演習で鍛えるPM判断の力を高める
「知識としては理解しているが、現場のケースを前にすると判断がぶれる」状態から抜け出すための講座です。事実と解釈の切り分け、論点の構造化、計画の崩れの診断、変更判断と報告整理、再建計画の設計まで、判断プロセスを一連の流れとして訓練します。本記事の「初日にやること」「シナリオ作り」を、自分の現場に応用する力が身につきます。 新任PM向け学習ハブを見る
契約前提ズレで赤字化を止める実務を体系化する
範囲・前提・検収の再合意で、赤字と炎上を短期収束させる実務手順を体系化した講座です。本記事の「1週間でやる棚卸し」「再見積の組み立て」「再契約と段階リリース」の部分を、より深く実務に落とし込みたい方に最適です。「再合意」か「撤退」かを判断する軸を、自分のものにできます。 炎上案件鎮火ハブを見る
どちらから始めるかは、いま自分が「判断軸の言語化に課題を感じている」のか「契約と再見積の実務に課題を感じている」のかで選ぶのが現実的です。
まとめ:炎上案件は「順序」で勝負が決まる
炎上案件の立て直しは、特別な才能ではなく、順序を守れるかどうかで結果が変わります。
- 初日:事実と解釈を切り分け、止血する
- 1週間:範囲・前提・検収を棚卸しする
- 2週間:3シナリオで再見積する
- 3週間:意思決定会議と顧客交渉
- 4週間:撤退判断と、その後のクロージング
引き継いだ瞬間は誰でも固まります。それでも、順序を持っていれば動けます。本記事の流れを、引き継ぎ案件のテンプレートとして手元に置いていただければ幸いです。判断力をもう一段引き上げたい方は、 ケース演習でPM判断を鍛える講座 と 契約前提ズレ・赤字化の鎮火講座 で、ケースに向き合う時間を作ってみてください。